◇2人の母の愛情支えに−−中野ミツヨさん(61)
◇「39年間、懸命に働いた」
「産みの母と育ての母。2人の愛を精いっぱい受けて私は今、生きている」。中野ミツヨさん(61)は声を詰まらせ涙ながらに語った。
終戦直後、ソ連が侵攻し、家族で逃げ惑う中、中野さんは生まれた。集団が生き残るためには、足手まといは捨てられても仕方がなかったが、母に抱かれて生き延びた。徒歩と貨物列車でたどり着いた炭坑町の奉天省(現遼寧省)撫順市で中国人の養子になった。幼い子供を助けるため、母は苦しい選択をしたのだった。
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離婚人気blogランキング 養父母は中野さんをもらう直前に流産していたため、中野さんは養母の母乳で育った。8歳の時に養父母が離婚し、養母に引き取られた。纏足(てんそく)をしていた養母は働けず、生活は苦しかった。「生活が苦しいなら学校へ行かなくてもいい」と言った中野さんに、「私はお前のために生きている。お前がいなかったら死んでもいい」と養母は言い、18歳まで学校に通わせてくれた。就職して、結婚しても養母が死ぬまで一緒に暮らした。
85年に一時帰国し、同じ開拓団にいた伯母と再会した。見せられた写真で本当の家族を知ることができたが、同時に家族がみんな死んでいることも知らされる...
ニュースの続きを読む(引用 yahooニュース)
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